久しぶりです。
先週の山名教授の上棟から10日近くたちました。
上棟後、私は東京から福島へ帰ってきまして仕事の段取りをしていました。
そして、3月11日のあの時間・・・。車に乗ってお客様のところへ見積書・請求書を
届けに出発した直後でした。
「緊急地震速報」です。しかも宮城県沖。実は嫁の実家です。
いつもであれば大したことのない震度4くらいで終わるところが、運転中にハンドルが
とられるくらいの揺れにやばいと思い車を停車しました。
そのまま強い揺れがかなりの時間続きました。車に乗っていて見える電柱や標識の揺れは
異常でした。後を振り返り小学校の建物の無事を確認し、子供たちは無事と判断。
このまま出かけるのは微妙と思い、念のため自宅へ戻りました。
帰り道で見た光景はまるで別世界。ありえませんでした。
石塀は倒れ、屋根は落ち、道路には石の破片や山からの岩などありえない光景でした。
自宅に着くと幸いにも無事でした。あえて言えば庭の石灯篭が倒れた程度、墓石が動いて
口が開いてしまった程度でした。まあ、仕方のない程度の被害でした。
もちろん電話はすでに使えず、連絡は取れません。たまにメールが届いたくらいでした。
こんなときは電話は持っている意味を果たしませんね。
夕方には電気も戻り、たまに電話もなりまして、その電話は屋根の棟が落ちたという
お客様の電話ばかり。しかも茨城県の海沿いばかり。
次の日、東京現場に居た職人に何とか連絡をつけ、異常事態だから帰ってくるように
指示を出し、高速通行止めなので一般道で約10時間かけて夜中に無事帰宅。
次の日から昨日まで福島の白河付近のお客様の家から茨城県の高萩市・日立市・
常陸太田市・東海村・ひたちなか市まで約40件の家の屋根にシートをかけ
仮の養生をしていました。
現場付近ではコンビ二があってもほとんど物がなく、水も出ない状況でした。
私の自宅近辺では東北電力エリアなので電気も早々に回復し、水もすぐに出ましたので
あまり不便さは感じませんでしたが茨城県では2~3日前にやっと水が出た
状況でした。水が出ないというのは一番つらいようですね。
何十年もなんともなかった瓦屋根があっという間に全滅でした・・・。
言葉がありません。しかもことごとく・・・。
瓦屋さんも大忙しです。瓦屋というより仮のシートかけ屋ですね。
町一面がシートの屋根といったところです。
津波の被災地もひどいでしょうけれど、茨城の屋根もひどい状況です。
しかし、屋根だけですんだのだからと考え方を変えて茨城のお客様は頑張っています。
家があるだけいいです。屋根は時間がたてば直りますから。
物流の流れが悪いので瓦もいつになったら葺けるのか、そして職人もいつになったら入れるのか
分からない状況です。しかも原発・・・・。
福島が、いや福島だけでなく日本が危ないのではないでしょうか・・・。